1: 名無しさん@おーぷん 2016/02/09(火)04:23:12 ID:ued
彡(゚)(゚)「中国春秋時代についてワイが書いていくスレやで」

彡(゚)(゚)「春秋時代は実は350年間もあって、中国はもちろん漢字文化圏の文化の源流もこの時代にあると言ってええ」

彡(゚)(゚)「めちゃくちゃ面白くて奥深い時代なんやで」

彡(゚)(゚)「とはいっても、ワイはただの歴史マニアやから、内容に間違いはあるかもしれん。専門家ニキはどんどんツッコんでや」

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 元スレ:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1454959392/http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1477153484/
912: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:55:34 ID:nS5
ちょっとだけ続き書くで

鄭穆公編

913: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:56:47 ID:nS5
前636年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「ワイは蘭。第10代鄭公捷の子供や。」

彡(^)(^)「蘭。なんとも綺麗な名前やろ。聞いただけでええ香りが伝わってきそうやな。」

彡(^)(^)「マッマがワイを妊娠するちょっと前に、夢の中で天使に蘭をもらったらしくて、それでパッパがワイにこの名前をつけたんやて。」

彡(^)(^)「ワイは蘭が大好きやし、この名前もめっちゃ気にいっとるんや。サンガツパッパ!!」


蘭は、第10代鄭文公の子である。母は燕?という賤妾であった。
ある時、燕?は夢の中で天の使者に会い、「これをお前の子供とする」といって蘭を授かった。
そしてその直後に燕?は文公に目をかけられて妊娠し、男子を産んだのである。
すると、いきさつを聞いた文公は、産まれた子に蘭と名付けたのである。

914: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:58:48 ID:nS5
彡(゚)(゚)「ただ、そんなパッパやけど、実ははめっちゃ気難しい人なんや。」

彡(-)(-)「ちょっとしたことでも誰彼かまわずキレまくって、しかもそれをいつまでも憶えて根に持っとる。自分の子供相手でも全然容赦ない。」

彡(-)(-)「8年前に華ニキは殺されてしもて、ビビった臧ニキは宋に逃げてしもた。」

彡(-)(-)「いっつもなんか空気が殺伐としとって、ワイもパッパの顔色見ながらビクビクせなあかん。」

彡(;)(;)「せっかくの家族やのに…なんでこんなことになってもうたんや…」


鄭文公は異常人格者であった。度を越して怒りっぽく、執念深かったのである。
その異常ぶりは、周王からの贈物が気に入らず、それを延々と憶えていて、なんと36年も経ってから、仕返しに周王の使者を逮捕したほどであった。
そして、文公の激しい怒りは、実の子供たちにも向けられたのである。

陳の公女が産んだ華・臧
江の公女が産んだ士
蘇の公女が産んだ瑕・兪弥
燕?が産んだ蘭

文公の男子は以上の6人であったが、まず前644年、10年も前の外交上の失態を理由に華が処刑された。
華は当時太子であったにも関わらず、容赦なく殺されてしまったのだ。
そして、これに怯えた臧は宋に亡命してしまった。

ついでに言えば、華と臧の母親は、なんと元は文公の叔父の妻であった。
文公には、良心や人情などというものは微塵もなかったのであろう。実は精神病質者だったのかもしれない。

915: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:59:13 ID:nS5
(●゚◇゚●)「おお、蘭じゃないか。」

彡;(゚)(゚)「ワッ!?なんやパッパか…」

(●゚◇゚●)「ん!?なんだ!?何か文句でもあるのか!?」

彡;(゚)(゚)「いやいや、ちゃうねんパッパ。今のはいきなりやったからちょっとびっくりしただけやねん。」ペコペコ

彡;(゚)(゚)「急に大きな声出して悪かったわ。ホンマごめんなさいやで。」ペコペコ

(●゚◇゚●)「…」チッ


彡(゚)(゚)「そういえばパッパ。宋の臧ニキは元気なんやろか。」


(●火◇火●)「あ゛!?」


彡;(゚)(゚)「ヒッ!!」

916: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:59:57 ID:nS5
(●火◇火●)「臧だと!?お前今臧と言ったのか!!」

彡;(゚)(゚)「ごめんなさい悪気はなかったんやごめんなさいごめんなさい」ペコペコ


(●火◇火●)「あのクズならこの前ぶっ殺してやったぞ!!いい気味だぜ!!」


彡;(゚)(゚)「…え?」


(●火◇火●)「聞こえなかったのか!?ぶっ殺してやったんだよ!!」

(●火◇火●)「いいか!!あいつはな!!育ててやった恩も忘れて逃げ出しやがった親不孝者なんだ!!」

(●火◇火●)「そのくせ粋がって派手な冠ばっかり集めてやがったんだぞ!!そんなこと許せるわけないだろうが!!」


彡;(;)(;)「…ェ…そんな…冠くらいで…」 ガタガタブルブル


(●炎◇炎●)「あ!?何だお前はああああああ!!!お前まであいつの肩を持つってのかあああああ!!」

(●炎◇炎●)「クソガキが調子に乗るなあああああああ!!!何ならお前もぶっ殺してやってもいいんだぞおおおお!!!」


彡;(;)(;)(アカン…狂っとる…逃げな…)


蘭亡命


臧はおしゃれ好きであったのか、鷸の羽の冠を好み、亡命先の宋でも精力的に蒐集していた。
ところが、どういうわけかこれが文公の逆鱗に触れたのである。
怒り狂った文公は、なんと刺客を放ち、臧を殺害してしまった。ただただ理不尽としか言いようがない。

そして、これを見た蘭は震え上がり、晋に亡命した。
当時の晋は晋文公が即位し、国力が急上昇している時期であった。

917: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)23:00:09 ID:nS5
続きはまた今度

934: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:40:35 ID:BJ7
ちょっとだけ続き書くで

935: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:42:19 ID:BJ7
前630年
晋都絳


晋文公「おお、ちょっと蘭さん、話があんねんけど。」

彡(^)(^)「あ、晋公。おはようございますやで。」

晋文公「今度ワイらは秦と組んで鄭を攻めることにしたんやけど、あんたも来なはれや。」

晋文公「攻撃がうまいこといったら、あんたを新しい鄭公にしたりまっせ。」

彡(゚)(゚)「なんと!!ほんまでっか!!」

彡(^)(^)「わかりましたで!!すぐに準備さしてもらいますわ!!」


彡(゚)(゚)「…ただ、我儘言うようでアレなんやけど、城攻めの陣には参加したないんですわ。」

彡(゚)(゚)「仮にも鄭はワイの故郷ですねん。それを攻めたてるようなことはしとうないんです。」


晋文公「なるほど。まあそれもそうやな。ワイも亡命しとった身やし、あんたの気持ちはようわかりまっせ。」

晋文公「適当に鄭の隅っこのほうで待っといて下さいな。出番が回ってきたら呼ばしてもらいますさかいに。」


前632年、晋文公は城濮で楚軍を破り、中原の覇者となった。
そしてこの年、晋文公は秦と協力して鄭を攻めた。城濮の合戦で鄭が楚軍に便宜を図ったのを攻める名目であった。
この時、蘭は晋軍と共に鄭に入り、鄭の東辺で待機した。

936: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:12 ID:BJ7
鄭都新鄭


(●゚◇゚●;)「まずい…まずいぞ…あんな大軍相手じゃ手も足もでないぞ…」

詹「なんだかんだと理屈をつけてはいますが、晋軍の本当の目的は昔の恨みを晴らすことでしょうな…」

(●゚◇゚●;)「なんだって!!あいつら本気でウチを滅ぼすつもりだってのか!!」

瑕「やばいよパパどうしようどうしようどうしよう」

(●火◇火●;)「うるさい!!黙れこのクソガキが!!肝心な時にお前は本当に役立たずだな!!」

瑕「…ェ…そんな…」


佚之狐「公。少し落ち着かれませ。まだ鄭は滅ぶと決まったものではありません。」

佚之狐「敵は大軍でありますが、秦はおそらく晋に心服していないでしょう。」

佚之狐「燭之武という者を知っております。彼を使者として秦公に会わせれば、敵は必ず退きます。」


(●゚◇゚●;)「そうか…なら早くしろ…」


大軍に包囲された鄭では、佚之狐という大臣が策を講じた。
即ち彼は、晋軍と秦軍の連帯が必ずしも鞏固でないことを見抜いたのである。
佚之狐の推薦で、燭之武という大夫が使者となり、夜中、包囲網をすり抜けて、秦穆公に謁見した。
そして秦穆公は燭之武の説を尤もと思い、晋に断りなく勝手に和議を結んで撤兵してしまう。

937: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:34 ID:BJ7
函陵
晋軍陣中


晋文公「なんやと!?秦軍がおらんやと!?」

先軫「はい。どうやら勝手に鄭と講和してしまったようです。」

先軫「まさかこんなことになるとは…」


狐偃「公!!なんという無礼でしょうか!!直ちに秦軍を撃ちましょう!!」

晋文公「…いや、それはあかん。ワイは秦公にはさんざんお世話んなったんや。」

晋文公「ワイが今日あるのは秦公のおかげなんやで。それを仇で返すなんざ人でなしもええとこや。」

晋文公「それに秦はワイらの同盟国やろが。わざわざ味方と戦って騒動を起こすんはさすがに無意味やで。」

晋文公「引き揚げや。ワイらも鄭と和解するんや。」


狐偃「しかし、それではこの出兵の意味がなくなってしまいますぞ!!」

先軫「では、講和の条件として、蘭どのを鄭の太子とするよう要求しましょう。」

先軫「やがて蘭どのが鄭公となられれば、晋に恩義を感じて、楚に寝返ることはなくなるはずです。」


秦軍の無断での離脱を知った晋軍は色めき立ち、狐偃は秦軍攻撃を進言したが、晋文公は許さなかった。
結局晋は鄭と講和することになったのだが、ただでは退かない晋は講和の条件として、蘭を太子とするよう鄭に要求した。

938: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:53 ID:BJ7
鄭都新鄭


(●゚◇゚●;)「何!?晋軍も講和してくれるのか!!」

石甲父「よかったですな!!これでなんとか助かりそうです!!」

(●^◇^●;)「いや~、一時はどうなることかと思ったよ。」


(●^◇^●)「で?講和の条件はなんだ?」

石甲父「蘭さまを太子として鄭に迎えること、だそうです。」

(●゚◇゚●)「…なんだと…なんであんな親不孝のクソガキを…」イラッ

侯宣多「…公。お気持ちはわかりますが、ここはなんとか堪えて戴けませんか。」

侯宣多「今晋に叛けば、鄭は本当に焦土にされてしまいます。」

(●゚◇゚●)「…くそっ…仕方ないか…」イライラ


詹「…」

939: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:44:59 ID:BJ7
詹「公。晋公はほんとうにそれだけで納得するでしょうか?」

(●゚◇゚●)「ん?どういうことだ?」

詹「晋公は恨みを絶対に忘れない性格です。ちょっとやそっとでは鄭への恨みは晴れますまい。衛や曹への態度を見ればわかります。」

詹「聞けば先日、晋公は衛公に毒を盛ろうとしたとか。衛公は怯えて周王と晋公に巨額の賄賂を贈り、なんとか許してもらったそうですぞ。」

(●゚◇゚●)「…うん…まあ…それはそうだが…」


詹「我が国を晋公から守るには、蘭さまの件だけでなく、ここはかなり思い切ったけじめが必要です。そこで…」ハモノダシー


(●゚◇゚●;)「!?」


詹「執政の私が、城濮の失態の責任をとることに致します。では。」ズシャアッ


(●゚◇゚●;)「おい!!なにをするんだいきなり!!大丈夫か!!」


詹「」チーン


(●;◇;●;)「…そんな…どうして…どうして弟が死ななきゃならないんだよ…」

(●炎◇炎●;)「ちくしょおおおおおお!!晋めえええええ!!蘭めえええええええ!!」


鄭では、大夫の石甲父と侯宣多の説得により、蘭の受け入れが正式に決定した。
こうして蘭は、ようやく鄭に帰国がかなったのである。
ところが講和に際し、かつて流浪時代の晋文公を厚遇するよう進言したあの詹が、責任をとるのだと言って突然自殺してしまう。
もしかすると詹は、不本意な撤兵で晋文公の怨みが晴れず、後に更に理不尽な復讐をされるのをおそれたのかもしれない。
実際、同じく恨みを買った衛や曹は晋文公に何度も滅ぼされそうになったのに、鄭はこの後一度も晋文公の攻撃を受けることはなかったのだ。

940: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:46:25 ID:BJ7
前628年


彡(゚)(゚)「ワイはなんとか国に帰って、しかもパッパの後継ぎになった。」

彡(-)(-)「せやけど、以来パッパとは完全に冷戦状態や…」

彡(-)(-)「会っても挨拶もしてくれへんどころか、ワイと目ェもあわしてくれへん。ほんでワイを見た日は一日中機嫌悪いらしい。」

彡(;)(;)「あげく瑕までパッパに嫌われて追い出されてしもた…もうワイの兄弟誰も残ってへんやんけ…」


(●▲●)「太子!!大変ですぞ!!ついさっき公が身罷られました!!」 ←子家

彡(;)(;)「ファッ!?」

┏━━━━━┓
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┗━━━━━┛
 鄭文公薨去


彡(;)(;)「…とうとう仲直りできへんかった…」

彡(;)(;)「…ワイはもうひとりぼっち…残っとるんは庭に咲いとる蘭くらいのもんや…」

彡(;)(;)「…パッパ…」


この年、鄭文公は薨じ、後を継いで蘭が立った。
蘭の諡は穆公。以下は穆公で統一する。
この時既に、穆公の異母兄弟の士と兪弥は死んでおり、瑕も前年に楚に亡命してしまっていた。
そのため、穆公を支える近親者はどこにもおらず、穆公が強大な権威を発揮することは不可能になっていたのである。

941: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:46:41 ID:BJ7
続きはまた今度~

972: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:22:24 ID:AwA
久々に続き書くで

973: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:23:11 ID:AwA
彡(゚)(゚)「泣いてばかりもおられん。ワイはもう鄭の主になったんや。」

彡(゚)(゚)「ちゃんと国を導いていかなあかん。ボヤボヤしとったら鄭なんざアッちゅう間に滅んでまうんやからな。」

彡(゚)(゚)「子家。頼りにしとるで。」

(●▲●)「はっ。全力で努めます。」

(●▲●)「これまで我が国は、大国に攻められる度に態度をコロコロ変え、他国との盟約を反故にし続けてきました。」

(●▲●)「しかし本来、我が国は周の分家でありますから、周王を奉戴する晋につくのが当然です。それに、公は晋の恩を受けておられます。」

(●▲●)「幸い、今や晋は天下の覇権国で、鄭を守る力は十分に持っているでしょう。」

(●▲●)「これからは、目の前の情勢に左右されず、晋との盟約を守り続けるべきではないでしょうか。」

彡(゚)(゚)「確かにな…パッパはあまりにも節操無さすぎたわな…」

彡(゚)(゚)「よっしゃ。一丁根性あるとこ見せたろやんけ。」

974: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:23:29 ID:AwA
前627年


秦穆公「鄭を叩いたれwww」

彡(゚)(゚)「なんのなんの!!」

秦穆公「なに!?意外に手強い…」


楚成王「鄭を叩いたれwww」

彡(゚)(゚)「ヌルい!!ヌルいわ!!」

楚成王「なんで勝てんのや…」


彡(^)(^)「どや!!鄭の底力を思い知ったか!!」


穆公は即位後、これまでの面従腹背の外交を改め、個人的にも恩義のある晋に従うことに決めた。
前627年には秦と楚が鄭を攻撃したが、穆公はなんとかこれを撃退する。
更に前625年には、蔡と晋の和睦の仲介をして、晋の勢力拡大に貢献した。

975: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:24:05 ID:AwA
前626年

楚成王崩御・楚穆王即位

前621年

晋襄公薨去・翌年晋霊公即位


前618年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「なんやと!?楚が攻めて来た!?」

(●▲●)「はい。敵はとんでもない大軍です!とても防ぎきれません!」

彡(゚)(゚)「今すぐ晋に使者を送れ!!助けてもらうんや!!」


しばらくして


彡(゚)(゚)「なんや!!まだ援軍は来んのか!!」

(●▲●)「それが、どうも晋では内乱があったそうで…」

彡(゚)(゚)「なんちゅうこっちゃ!!はよ来てくれんとともう持たへんで!!」


穆公即位後、鄭は10年に亘って晋の盟下に留まり続けた。
ところが、やがて鄭をとりまく状況が変化する。
晋襄公と楚成王が死に、晋霊公と楚穆王が即位したのである。
晋霊公は幼児であり、晋文公や晋襄公のような指導力は望むべくもなかった。
これを好機と見た楚穆王は、前618年、大軍を率いて鄭を攻撃した。
穆公はすぐさま晋に支援を求めたが、このとき晋では内紛があり、晋は出兵に手間取ってしまう。

976: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:24:45 ID:AwA
さらにしばらくして


彡(●)(●)「助けはまだかあああああああ!!!まだ来ェへんのかああああああ!!!」

(-▲-)「はあ…一応晋軍は出撃したようですが、諸侯とゴチャゴチャと相談して手間取っているようです…」

彡(●)(●)「なんやとおおおおお!!!まだモタモタしとんのかあああああああ!!!いくらなんでも遅すぎやろがあああああ!!!」

彡(●)(●)「おかげでワイの子が敵に捕まってもうたやないかああああ!!どないしてくれんのじゃああああああああ!!!」


(●▲●)「公。もはや援軍は間に合いますまい。楚と和議を結びましょう。」

彡(゚)(゚)「なんやて!晋を裏切るっちゅうんか!」

(●▲●)「我々はちゃんと戦いました。にもかかわらず晋は援軍を出さない。これは立派な盟約違反です。」

(●▲●)「先に晋が約束を破ったのですから、もはや我々が約束に拘る必要はありますまい。」

(●▲●)「それに、聞けば今の楚王は非常に兇暴な性格だとか。このまま攻め潰されれば、鄭の国民は皆殺しにされてしまいますよ。」


彡(-)(-)「そうか…しゃあないな…」


晋軍の援助が一向にないまま、鄭軍は楚軍に必死に抵抗した。
しかし衆寡敵せず、鄭軍は苦戦を強いられ、公子の堅と尨、そして大夫の楽耳が楚軍の捕虜となった。
ところが恃みの晋軍は、一応出撃したものの、宋・衛・魯・許の軍と合流してダラダラと軍議を行い、一向に鄭には到達しない。
とうとう穆公はしびれをきらし、勝手に楚に降伏してしまった。

977: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:25:57 ID:AwA
前616年


彡(゚)(゚)「同盟を破っても、晋は全然攻めて来ェへんな。」

(●▲●)「晋は今は秦との戦争で手一杯なのでしょう。ともあれ、鄭は平和になったのですから結構ではありませんか。」

彡(゚)(゚)「まあそれはそうなんやけどな…ワイは楚はあんまり好かんねん…」

彡(゚)(゚)「今の楚王はどうも乱暴でかなわん。去年なんか、宋公がしょうもないことで睨まれて、仕返しに大恥かかされたそうやんけ。」

彡(゚)(゚)「そういや陳公も早よう楚から逃げたいとか言うとったで。ワイもホンマそないしたい気分や。」

(●▲●)「そうですね…確かに楚は礼儀に欠けるところが多いですな…」


(●▲●)「わかりました。ではこの私、これから楚に行って、陳の離脱を認めるよう楚王を説いて参ります。」

彡(゚)(゚)「ファッ!?そんなことができんのかい!?」

(●▲●)「陳は一昨年に楚軍を破っております。いくら兇暴な楚王でも、おいそれとは手出しはできますまい。」

(●▲●)「陳の離脱は表向きのことだけ、とでも言えば、なんとか認められるのではないでしょうか。」

(●▲●)「そして、これがもし認められれば、我が国は陳に、ひいては晋に恩を売ったことになります。」

(●▲●)「そうすれば将来何かあった時、我が国は簡単に晋に鞍替えできるでしょう。」

彡(゚)(゚)「なるほどな…」


鄭は楚に降ったが、楚穆王は決して信頼できる盟主ではなかった。
彼は徳に乏しく、非常にも周辺諸国を次々と武力で滅ぼし続けたのである。
前617年には、宋を降伏させた際、宋の接待の粗相を見咎め、子舟という大夫に命じて宋公の御者を鞭打たせたという。
こういう楚穆王の振舞を見た鄭と陳は、何とか楚の盟下を離れようと画策し始めた。

そして前616年、まず陳が楚との盟約を破棄し、晋の傘下に入った。
この時、穆公は子家を楚に派遣し、言葉巧みに陳の離脱を認めさせたのである。

978: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:28:09 ID:AwA
前614年


楚穆王崩御、太子旅即位


鄭都新鄭


彡(^)(^)「よっしゃあああ!!とうとうあのケダモノが死におったで!!」

(●▲●)「後継ぎの旅とかいう王は、年も若い上にとんでもない愚か者らしく、、親の葬式もそこそこに毎日遊び暮らしているそうです。」

彡(^)(^)「ほんまか!!ますます好都合やんけ!!」

彡(^)(^)「よっしゃ!!今すぐ晋に使者を送れ!!楚とは絶交や!!」


この年、楚穆王が崩御した。
楚穆王の在位年数は13年と大して長くなかったし、武力一辺倒で周辺諸国を滅ぼし続けたあたり、王としての資質も楚成王にはとても及ばな

かったのだろう。
しかし、晋・秦・斉など、同時代の大国はいずれも人材不足にあえいでおり、楚穆王はうまくそこにつけこんだと言えるだろう。
後を継いだのは太子の旅であった。諡は荘王。以下荘王で統一する。
ところが荘王はこの時まだ弱年であり、全く政治を顧みなかった。
ばかりか、「諫める者は殺す」と嘯いて、穆王の喪中であるにも関わらず、日に夜を継いで遊び暮らしはじめたのである。

穆公にとってはチャンス到来である。
この年、彼はすぐさま子家を魯に派遣し、魯を仲介として晋に乗り換えた。
この時、同時に衛も晋と盟約しており、更に宋も晋に降ったため、中原は再び晋一色に塗り替えられることとなった。

979: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:30:03 ID:AwA
前612年

鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「楚は内乱に大飢饉でもうグダグダみたいやな。」

彡(^)(^)「いや~、なんとも幸運なことやで。もうこのまま滅んでくれたらええのになwww」


(●▲●)「公。晋から招集がかかってますぞ。」

(●▲●)「なんでも、魯を勝手に攻めた斉を制裁するそうです。」

彡(^)(^)「よっしゃ出撃や。晋もとうとう本気出すんやな。」


十一月



彡(゚)(゚)「魯には一昨年に世話ンなったわけやし、この遠征はなんとしても成功させたいンゴねえ…」

彡(^)(^)「まあ、こんだけ味方がおったらさすがに負けんやろ。なんせ8ヶ国連合の大軍やからな。」


彡(゚)(゚)「せやけど…なんでいつまでも進軍せんのや…晋公は一体なにやっとる…」


晋霊公「やっぱやーめた。はい解散解散。」


彡(゚)(゚)「ファッ!?」


この年の秋、斉軍が魯を侵した。斉はこの頃、晋の盟下に入るのを嫌い、独自の勢力を築こうとしたのである。
これに対し、魯は季孫行父を晋に派遣し、晋軍の出動を求めた。
そこで、同年十一月、晋・鄭・宋・衛・陳・蔡・曹・許の君主が扈の地で会盟し、斉を攻撃する連合軍を編成した。

ところがこの時、斉公はこっそり晋軍陣中に使者を送り、晋霊公に贈賄したのである。
そしてあろうことか、晋霊公はこの賂に目が眩み、勝手に連合軍を解散してしまう。
これを見た斉軍は調子に乗り、更に曹をも攻撃する有様であった。

晋霊公はこの時まだ年少であったとはいえ、この行為はさすがに諸侯を失望させた。

980: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:30:59 ID:AwA
前610年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「なんか、晋もあんまり当てならんな。ちょっと不安になってきたンゴ。」

彡(゚)(゚)「最近は楚がだんだん復活してきおったし、どうも嫌な感じやで。」


(●▲●)「公。また晋から出撃要請です。今度は宋の内乱の裁定だそうですよ。」

(●▲●)「将は大臣でよいそうなので、石楚を向かわせます。」

彡(゚)(゚)「なんやねん…今度はちゃんとやんねやろな…」


宋国境


石楚「ここまで来てから、全然進軍命令がでない…」

石楚「まさか…」


荀林父「やっぱやーめた。はい解散解散。」


石楚「ファッ!?」


この前年、宋では内乱があり、宋昭公が暗殺されて弟の宋文公が立った。
宋昭公は無道の君主であり、暗殺されても仕方なかったのだが、名分の上ではこれは立派な弑逆である。
そのためこの年、晋の荀林父を中心に鄭・衛・陳の連合軍が組織され、宋を詰問することになった。
ところが、宋がこっそり荀林父に贈賄したため、またしても連合軍は無為に解散することになってしまう。
晋の信用は失墜してしまったのである。

この頃、楚では楚荘王が英明ぶりを発揮し、国力を急上昇させていた。
即位直後の乱行は臣下の良否を見極めるためのものであり、ある日突然、数百人もの佞臣を粛清し、数百人もの能臣を登用したのだ。
晋は信頼を失い、代わって楚が擡頭する。天下の情勢はまた新たな局面を迎えることになる。

981: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:31:12 ID:AwA
続きはまた今度


※ここから新スレです。

2: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:25:44 ID:BnI
鄭穆公続き

3: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:20 ID:BnI
宋の内乱について。


※スルー可


宋襄公の子の宋成公が薨じたのが前620年である。成公の子の杵臼(昭公)が後を継いだ。
この頃、朝廷では宋穆公や宋襄公の子孫が威勢を張っていた。晋献公の時の桓荘之族のようなものである。
そして、晋献公の如く、宋昭公も彼らを排除しようとした。

ところが、穆襄の族は甘くなかった。彼らは先手を打ち、逆に朝廷に攻め込んで、公孫固と公孫鄭を殺したのだ。
この公孫固は、かつて泓水の合戦で襄公を諫めた、あの公孫固である。
恐怖を覚えた昭公は、やむなく穆襄の族と和解したのだった。

一方、この時襄公の夫人の王姫も存命であった。彼女は周襄王の姉であり、襄公に嫁いでいたのだ。
王姫は翌前619年、昭公が彼女を礼遇しないことに腹を立て、戴氏(宋戴公の子孫)を動かし、昭公の腹心の大夫数名を殺害した。
しかし昭公の政治は無道であったため、国人の支持はむしろ王姫の方に向いたのである。

そして前611年、王姫は昭公に孟諸沢で狩りをするように仕向け、刺客を放って昭公を殺害した。
この時、昭公は陰謀を察知しており、財産すべてを持って狩りに出発していた。
しかし、結局その財産は全て側近衆に与えて去らせてしまい、自らはひとり進んで殺されたという。
曰く「大夫や王姫、国人たちと敵対した自分に行き場などないし、亡命して他人の家来になるのも御免だ。死んだ方がましである。」
昭公の死を確認した王姫は、昭公の弟で人望の高かった鮑を即位させた。これが宋文公である。

4: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:35 ID:BnI



彡(゚)(゚)「結局宋はお咎めなしやった。諸侯みんなで宋と和睦することンなって、みんなここに集まってきた。」

彡(゚)(゚)「それにしても晋は一体なんやねん…金さえ払ろたら侵略も主殺しも何でもありかいな…」

彡(゚)(゚)「将来なんかあった時、ホンマにワイ等を守ってくれるんやろか…」

彡(゚)(゚)「一遍晋公に直接会うて念押しとかなあかんな…」


(●▲●)「公…それが…晋公は公とは会いたくないそうです…」

(●▲●)「我が国が楚に通じているのではないかと疑っているようで…」

彡(゚)(゚)「ファッ!?一体どういうことや!!こないだもちゃんと兵隊出したったやんけ!!」

彡(゚)(゚)「まだなんかせいっちゅうんかい…こうなったら一発意地見せたらなあかんな…」


宋の攻撃をやめた晋は、改めて諸侯を招集して扈で会合を開き、宋と講和しようとした。
しかしこの時、斉がまたしても魯を攻撃したため、魯文公は参加できなかったのだ。
賄賂ひとつでこのありさまである。諸侯はさぞ呆れかえったことだろう。

それはさておき、この場でもう一つ事件が起きた。
なんと晋霊公が穆公との面会を一方的に拒絶したのである。
晋霊公は、鄭が楚と通じているのではないかと疑っていたのだ。

5: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:52 ID:BnI
晋軍陣中


(・8・)「公が鄭公との面会を断った!?いったいどういうことですか!!」 ←趙盾

郤缺「さあ…最近の公は何をなさるかわかりませんからな…」


荀林父「宰相!!鄭の子家がこんな手紙を!!」

(・8・)「ん?見せて戴けますか?」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
趙盾様

我が君は即位以来、貴国との盟約を守って参りました。
これまでにも何度も貴国に朝見しておりますし、蔡や陳が貴国に服従する手引きを行ったこともあります。
今、貴国は我が国の努めぶりが物足らぬと仰せのようですが、我が国は小国ゆえ、さすがにこれ以上のことは致しかねまする。
もし、それでも貴国が我らに無理強いなさるのでしたら、我らも追い詰められたる鹿の如く、道徳も盟約も構うつもりはございません。
国中の兵を集めてお待ちしますので、どうかよくお考え下さい。
そもそも我が国は先代より、斉や楚などの大国に次々と従って参りました。
されど、小国が大国の圧力に屈するのは果たして悪いことなのでしょうか。
そのあたりを斟酌して戴けねば、もはや我らも致し方ありません。

鄭宰相子家
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(・8・)「なんということだ…このままでは鄭が離叛してしまうではありませんか…」

(・8・)「すぐに講和しましょう!!必要とあらばこちらから人質をだしても構いません!!」

郤缺・荀林父「はっ!!」


晋の対応に怒った穆公と子家は、すぐさま趙盾に書翰を送りつけ、猛然と抗議した。
その内容はほとんど最後通牒のようなもので、仰天した趙盾はすぐさま鄭と和議を申し入れた。
ここでは趙盾は鄭に非常に気を遣い、趙穿と公壻池という二人の大夫を人質に出すほどであった。

とはいえ、書翰の末尾は、居直って鄭の面従腹背を認めさせようとするかのような書き方である。
もしかすると、鄭は本当に楚と通じていたのかもしれない。実際にこの後、鄭は楚に寝返ってしまうのである。
しかし、その上で白を切って強弁したとすれば、穆公や子家の強かさは想像を遥かに上回る。
大国の狭間で小国が生き残るには、こういうきわどい駆け引きが必要なのだろう。

6: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:08 ID:BnI
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「はあ…晋もいよいよアテんならんな…」

(●▲●)「晋公と宰相とが全く反りが合わないようです。もう一貫した政策はとれないでしょうね。」

彡(゚)(゚)「…そうか…晋はもうあかんな…」


彡(゚)(゚)「…楚に乗り換えるか…」

彡(゚)(゚)「子家。楚に使者を送れ。」

(●▲●)「わかりました。」


度重なる晋の失態に、ついに穆公は晋を見限り、楚に寝返った。
晋一色だった中原の一角がついに崩れたのである。

7: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:19 ID:BnI
前608年
鄭都新鄭


(●▲●)「公!!晋軍が諸侯の軍を率いて攻めてきましたぞ!!」

彡(゚)(゚)「来おったか…いつかは来ると思とったけどな…」


?賈「こんにちは。私、楚の大夫の?賈と申します。楚王の命によって鄭をお助けに参りました。」

彡(^)(^)「おお!来てくれはりましたか!!はるばる御苦労さまやで!!」

?賈「晋軍は兵は多くても、所詮は諸侯の寄せ集めです。今から出撃して叩いてきますよ。」


数時間後


?賈「戻りました。あっさり勝ちましたよ。やはり晋軍など腰抜け揃いですな。」

彡(^)(^)「ほんまでっか!!こらごっつおおきに!!」


彡(^)(^)(やっぱり楚について正解やったな!!)


この年、楚荘王は陳に侵入し、次いで宋を攻めて大勝。兵車500乗を捕獲した。
これを受け、晋は救援のため、趙盾を将として宋・陳・衛・曹の軍と?林で合流し、鄭に侵入した。
そして、これに対し楚は?賈を将として兵を出し、鄭を救援したのである。
?賈は果敢にも新鄭から出撃し、北林で晋軍と遭遇してこれを敗走させた。
鄭は完全に晋の支配から脱したのだ。

8: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:33 ID:BnI
前607年

鄭都新鄭


彡(^)(^)「いや~、楚軍は強かったな~。もうこれからは楚の時代やな~。」

彡(^)(^)「今の楚王は大層ようできた人らしいし、ワイらを無下に扱ったりはせんやろ。」

彡(^)(^)「それにワイは楚サイド一番乗りやから、きっと優しゅうしてくれるで。」


(●▲●)「公!!大変です!!楚王から使者が来ました!!」

彡(^)(^)「ん?何用や?何かくれるんかいな?」

(●▲●)「それが…我が国に宋を攻めるようにと…楚は手助けしないから独力で頑張るようにと…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?全然優しないやんけ!!」

彡(-)(-)「すまんゴ…ちょっと行ってきてほしいんゴ…」

(●▲●)「はい…」


この年、楚荘王は鄭に対し、独力で宋を攻めるよう命令した。
服従したばかりの鄭の忠誠度を試そうとしたのであろう。
仕方なく、子家を将として鄭軍は出撃。宋を侵し、大棘の地で迎撃の宋軍と向かい合った。宋軍の将は華元と楽呂であった。

9: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:47 ID:BnI
二月
大棘


(-▲-)「う~ん…別に自分たちは宋に恨みなんかないんだがな…」

(●▲●)「本気で殺し合うのも馬鹿らしい。ちょっと戦ったら引き揚げよう。それで恰好はつくだろう。」

(●▲●)「全軍突撃!!」


ワーワーワーワー


(●▲●)「う~ん…やっぱり宋軍は強いな…早く日が暮れないもんか…」


華元「やあこんにちわ。」


(●▲●)「わっ!?」

10: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:59 ID:BnI
(●▲●)「お、お、お前ええええ!!華元じゃねえかあああああああ!!!」

(●▲●)「者共!!であえであえ!!こいつをひっ捕らえろ!!」

華元「おっとこれは参ったな。お手柔らかに頼むよ。」

(●▲●)「何暢気なこと言ってやがる!!なんでお前がこんなところにいるんだ!!」


華元拘束


華元「いや、兵車に乗ってたんだが、御者がいきなり暴走して、気づいたらこんなところまで来ちゃってたんだよ。」

華元「まったく、食の恨みってのは恐ろしいもんだねwww」

(●▲●)「…は?」


大棘での合戦の最中、突然宋将の華元が鄭軍の中に突入し、あっさり捕獲された。
なんと、羊斟という華元の御者が、前日の食事の分配が不公平だったことに腹を立て、勝手に兵車を暴走させたのだ。
このため宋軍は浮足立ち、合戦は鄭軍の圧勝に終わった。楽呂をも拘束し、兵車460乗・捕虜250人・馘耳100を得たのである。

11: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:28:10 ID:BnI
続きはまた今度

14: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)15:35:40 ID:LLa
>>10
乙やでー
この件は、
華元「羊斟に羊の肉を出したら共食いみたいで縁起が悪い」
羊斟「ファッ!?(憤怒)」
って話だっけ。

16: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)18:56:26 ID:h2E
お、次スレ継続しとったんか

>>14
それやな
華元は名臣ではあるんだけど割りとうっかりというかぬけてるところがある人物やしな
まあ鄭に捕虜にされて逃げて帰ってきたときに民に悪口の歌を歌われても笑った済ませたりと
良くも悪くも細かいことを気にせず笑い飛ばしちまうタイプなんだろう
磊落豪雄ってやつやね

29: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:16:42 ID:Gnp
続き書くで

鄭穆公編完結

30: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:18:01 ID:Gnp
九月


晋霊公薨去、成公即位


前606年
鄭都新鄭


(●▲●)「公!!また晋軍が攻めてきましたぞ!!」

(●▲●)「直ちに楚に救援を求めましょう!!」


彡(-)(-)「…いや、それは要らん。晋に降伏するんや。」


(●▲●)「なんと!?よろしいのですか!?」


彡(゚)(゚)「考えてもみいや。楚は去年ワイ等を守るどころか、パシリに使いおったんやで。」

彡(゚)(゚)「もうワイ等をちゃんと守ってくれる国なんざどこにもないんや。一々約束守んのもアホらしいわ。」

彡(゚)(゚)「こうなったら柳に風や。攻められたら降伏。これでええ。」


(●▲●)「…」


前607年、晋では晋霊公と宰相趙盾の争いが表面化し、混乱の挙句に晋霊公が殺害された。
後を継いだのは襄公の弟で周に預けられていた公子黒臀であった。これが晋成公である。
そして晋成公は即位間もなき前606年、さっそく鄭を攻撃し、?(エン。延におおざと)に達した。

ところが、これに対して穆公は、楚の援軍を待つこともなく、あっさりと降伏してしまった。
原因はよくわからないが、おそらくは前年の楚の仕打ちに失望し、楚を見切ったのであろう。
またしても鄭は晋の盟下に入ることになった。

31: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:18:36 ID:Gnp



彡(-)(-)「…ああ…また裏切ってもうた…もうこれで何度目や…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…これやったら結局パッパとなんも変わらんやんけ…何のためにワイは今まで頑張ってきたんやろか…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…最近はなんか体調も悪いし…なんかもう…どうでも良うなってきたわ…」ゲホゲホ


(●▲●)「公!!今度は楚が攻めてきましたぞ!!どうなさいますか!!」

彡(゚)(゚)「…ファ…なんと…そらまた…随分早いことや…な…」ゴホゴホ

(●▲●)「…公?大丈夫ですか?」


彡(゚)(゚)(…なんでや…なんでワイばっかりこんな目に遭わなあかんねん…)フラフラ

彡(-)(-)(…なん…で…)グラッ


バタッ


(●▲●)「ファッ!?公!?」

32: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:19:44 ID:Gnp

病床


彡(゚)(゚)「…ワイはもうあかんな…この病気でワイは死んでまうんやろな…どうせ来年まではもたんやろ…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…せや…きっと蘭が枯れる頃にワイも死ぬんや…ワイは蘭のおかげで産まれたんやからな…」ゴホッゴホッ

彡(-)(-)「…思えばワイの一生…なんかわけのわからん気苦労ばっかりやった…」ヒューヒュー

彡(-)(-)「…ああ…もういっそ…野山の蘭にでも生まれたかったな…」ゴフッ

彡(-)(-)「…ほんならこんな……めんどくさい………人生なんざ…………」

┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  穆公薨去


この年、ついに穆公は薨去した。
末期の床で穆公は、蘭が枯れれば自分も死ぬであろう、と語っていた。
そして、実際に蘭が枯れて刈り取られると、穆公も死んだという。

穆公の業績は、はっきりとわかるようなものは殆どない。
鄭は常に晋楚の係争の地となる宿命を背負っており、戦乱の度に鄭は国土を荒らされ、穆公は厳しい選択を迫られ続けた。
その中では穆公は比較的うまく立ち回った方ではあろうが、度重なる難題に、穆公の心が休まる時はほとんどなかったことだろう。

結局穆公は、鄭の衰頽を遅らせることはできたが、止めることはできなかった。暗君ではなくとも、決して名君ではなかった。
鄭はこの後も、同様の凡庸な政治家が続き、晋楚の間で右往左往しながら弱体化してゆくのである。
子家の後に宰相となった公子去疾(子良)は前598年にこう語っている。
「晋楚は徳もなく武力で争っているのだから、我らは攻めて来るたびに服従すればよい。晋楚には信がないのだから、我々にも信は必要ない。」
大胆な改革を行って活路を見出す気概もなく、ジリ貧になるのをただ待つだけ。それが鄭という国であった。

33: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:20:08 ID:Gnp
さて、穆公には以下のようにたくさんの男子がいた。若いころ家庭的に恵まれなかった反動であろうか。




?




去疾


?

このうち、夷が穆公の後を継ぐ(霊公)のだが、即位後まもなく子公という大臣に殺害されてしまう。
その理由は、宴席で霊公が意地悪をして鼈料理を子公に食べさせなかった、という意味不明なものであった。
霊公の後継者としては去疾の名が挙がったのだが、去疾はこれを辞退し、結局堅(襄公)が即位した。

そして、他の男子はやがてみな大臣となり、権勢を揮うようになった。
なかでも喜・?・平・偃・舒・発・去疾の七人の子孫は巨大な勢力を形成したので、まとめて七穆と呼ばれた。
七穆の威勢は君主をも圧倒し、鄭の政治を擅断してゆくのである。


鄭穆公編おわり

34: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:20:53 ID:Gnp
次は晋成公か斉懿公あたりを考え中

40: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:26:21 ID:z86
続き書くで

晋成公編

41: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:26:41 ID:z86
前607年
王都洛陽


彡(゚)(゚)「ワイは黒臀。パッパは晋の第24代文公やで。」

彡(゚)(゚)「昔、マッマがワイを産んだとき、夢の中で神様がワイの尻に字を書いたんや。」

彡(゚)(゚)「『この子に晋を持たせておいて、三代経ったら驩の子孫に引き渡す』とかいう内容やったらしいけど、今思えばようわからん。」

彡(-)(-)「今はもうアニキの子供が晋公ンなってしもとるし、残念やけどもうワイには即位の目はなさそうやからな…」


彡(゚)(゚)「まあそんなわけで、ワイは『黒臀』っちゅう名前をもろた。」

彡(゚)(゚)「少なくとも、汚ケツが真っ黒、とかいう意味では絶対にないからな。良い子のみんなは、そこんとこ間違えんといてや。」

彡(゚)(^)「ワイとの約束やで☆」


黒臀は晋文公の子である。母は周の王女であった。
その母が黒臀を産むとき、母の夢の中に神が出てきて、黒臀の臀部に以下のように書いたという。
「使有晉國、三而?驩之孫。」 (『国語』)
そのため、産まれてきた赤子は黒臀と名付けられたのだった。

42: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:27:00 ID:z86
彡(゚)(゚)「ところで、ワイが晋を離れてこんなとこにおるんは、ワイが何か悪いことしたからとちゃうねん。」

彡(゚)(゚)「昔、パッパがまだ若かった頃、晋では御家騒動があって、そのせいでパッパは散々苦労したそうや。」

彡(゚)(゚)「それを反省して、パッパは長男以外の子供を、みんな国の外に預けてしもた。」

彡(゚)(゚)「ワイも、マッマの実家の周に預けられて、今こないして暮らしとるわけや。」

彡(゚)(゚)「まあ王都は華やかで楽しいし、晋公にはなれんまでも、これはこれで充分幸せな人生やな。」


彡(-)(-)「ただ、長男以外追い出して騒動の芽を摘んだはずやのに、こないだも晋では跡目争いがあったそうや。」

彡(-)(-)「ほんで、今の晋公も大臣どもとうまいこと行ってへんらしい。特に宰相と馬が全然合わんそうや。」

彡(-)(-)「ホンマ、人の世っちゅうのは一筋縄ではいかんもんやな…」


晋では驪姫の乱以降、跡目争いを防ぐため、後継ぎ以外の公子を他国に預けてしまう習慣ができた。
晋文公の子の雍・楽・黒臀などが他国に預けられたのはそのためである。
またこの時、晋襄公の子で晋霊公の弟の捷も周に預けられていた。

ただし晋では、公族が全くいないことで大臣がのさばるようになり、結果晋公の権威が下がる結果になった。
それに、晋襄公薨去の際にも結局跡目争いは起こっており、公子分散に本当に効果があったのかはわからない。

43: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:27:35 ID:z86
そのころ
晋都絳
台上


(●゚◇゚●)「えいっ!!どりゃっ!!」ヒュンヒュン ←晋霊公


通行人A「痛てっ!!なんだこりゃ!!」

通行人B「石が降って来たぞ!!危ないじゃねえか!!」


(●^◇^●)「ぎゃあはははは!!愚民どもがああ!!逃げ惑え逃げ惑えええ!!!」ヒュンヒュン


ワーワーキャーキャー


(・8・)「公!!これは一体なんの騒ぎですか!!」 ←趙盾

(●^◇^●)「おお趙盾!!良いところに来たな!!」

(●^◇^●)「見てみろよwwwあんなに逃げ回ってwww人がゴミのようだwww」


(・8・)「おやめなされ!!君主が民を苛めてどうなさる!!」

(●゚◇゚●)「あ?俺が楽しいんだからそれで良いじゃねえか。」

(●゚◇゚●)「そんなことより趙盾。今のままじゃ城の垣根が地味でいけねえ。もっと派手に飾り付けようじゃねえか。」

(●゚◇゚●)「増税だ増税!!今すぐだぞ!!」


(・8・)「」


晋霊公は暗愚な君主であった。即位から10年ほど経ち、ようやく霊公も自分の意思をもつようになったが、それでやったこといえば、
・突如重税を課して壁に彫刻を施す
・物見台に上って外に石を弾き飛ばし、逃げ惑う人々をみて楽しむ
・珍味の熊の掌が生煮えだったことに腹を立て、調理した料理人を惨殺する
・賄賂を受け取り、大臣に相談もせず勝手に諸侯会合を解散する
など、頭の悪さを露呈するようなことばかりであった。
趙盾はしばしば霊公を諫めたが、霊公は言う事を聞かないばかりか、次第に趙盾を憎むようになっていった。

45: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:06 ID:z86
霊公治世の晋について。


※スルー可


霊公即位は前620年である。
このとき霊公はまだ幼児であり、とても政治を行うことはできなかったため、実質的には趙盾が最高権力者となった。
しかし、霊公即位時の騒動で趙盾はすっかり信用を失っており、とても国家をまとめていくことはできなかったのである。

まず翌619年、箕鄭・先都・士?・梁益耳・?得の5大夫が叛乱を起こし、翌618年1月に先克(先且居の子で中軍の佐)を殺害した。
彼らは先克に昇進を妨げられたり領地を奪われたりして、先克に恨みがあったのだという。
この叛乱はかなり大規模なものとなった。なにしろ、箕鄭は上軍の将、先都は下軍の佐だったのである。
結局、5大夫が全員殺害されて叛乱が鎮圧されたのは前618年3月のことであった。

先克が不法行為を行ったのなら、本来なら被害者は君主に訴えて裁きを下してもらうべきである。
5大夫がそれをせずにいきなり叛乱を起こしたのは、結局のところ霊公と趙盾を信用できなかったからであろう。
5大夫に限らず晋の群臣は、霊公や趙盾に従わずに各自勝手な行動をとるようになった。

そして、対外的にも晋は失敗の連続であった。
まず、令狐の合戦で秦とは決定的に関係が悪化し、毎年のように交戦して城を奪い合った。
秦では、前620年に亡命した士会が重用され、強かな戦略で晋を振り回したのである。
そして前615年には河曲の地で晋秦の全軍が衝突する大会戦が勃発。
この時晋軍は、かつて狐射姑に侮辱されたという、あの臾駢(このとき上軍の佐)の作戦によって優位に立ち、秦軍を追い詰めた。
ところが、趙穿(趙夙の孫)と胥甲(胥臣の子)が勝手な行動を繰り返して晋軍の足を引っ張ったため、あと一歩のところで取り逃がしてしまう。
当時胥甲は下軍の佐であったが、後に彼はこの時の失態を理由に、大臣を首になってしまうのである。

また、秦との抗争に気をとられている間に、中原では楚の勢力がどんどん拡大していった。
蔡・鄭・陳・宋などは次々と楚に服従し、これに対して晋は何ら有効な手段を講ずることができなかった。

踏んだり蹴ったりの晋であるが、更にそれに追い打ちをかけたのが、成長した霊公である。
彼は非常に暗愚であり、前612年には斉を討伐するために諸侯を召集しておきながら、斉から賄賂を受け取って連合軍を解散してしまった。
霊公は事あるごとに趙盾と対立し、そのためにますます政治は乱れたのである。

46: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:32 ID:z86
(●゚◇゚●)「趙盾がもういい加減鬱陶しくなってきたな…」

(●゚◇゚●)「俺だってもう子供じゃねえんだ…あんな野郎に一々口出しされるいわれなんかないぞ…」

(●゚◇゚●)「こうなったら…」


(●゚◇゚●)「?麑!!趙盾を殺してこい!!」

?麑「はっ!!」


夜明け前
趙盾邸


?麑「これが趙盾の屋敷か…随分立派な家じゃねえか…」

?麑「さて…趙盾はどこにいやがるんだ…」


?麑「…ん?あれか?」


ガラーン


?麑「なんだwww寝室の扉が開けっ放しだぜwww不用心な野郎めwww」


度重なる趙盾の諫言に嫌気がさした霊公は、?麑という刺客を送って趙盾を暗殺しようとした。
早朝、?麑は趙盾邸に侵入し、趙盾の眠る寝室を発見する。
すると、寝室の扉は開けっ放しになっていた。

48: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:54 ID:z86
?麑「さ~て…まだ寝てやがるかな…」シンシツノゾキミー


(-8-) 正座


?麑「!?」

?麑(なんでこんな時間に起きてるんだ!?もしや気づかれたか!?)


(-8-)


?麑(…いや…違う…)


(-8-)zzz


?麑(坐ったまま寝てやがる…)

?麑(もうとっくに起きて…服も着替えて出仕の準備も全部済ませて…)

?麑(それで…まだちょっと時間があるから坐ってウトウトしてやがるんだ!!)


なんと、趙盾は既に礼服に着替えて参内の支度を整えていた。
そして、束の間坐って転寝をしていたのである。

49: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:29:12 ID:z86
?麑(やべえぞやべえぞ…趙盾ってこんな良い奴だったのかよ…)

?麑(間違いなく趙盾は宰相の器だ…こういう人間を殺しちゃ国のためにならない…)

?麑(でも俺は君主の命令を受けてるんだ…殺さなきゃ命令に逆らったことになっちまう…)

?麑(どうしよう…どうしよう…)


(-8-)zzz


?麑(どうしようどうしようどうしようどうしよう)


(-8-)zzz


?麑「う゛…あ゛…」(どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう)


(-8-)zzz


?麑「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」ダッ


(-8・) !?


ドゴッ

51: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:29:39 ID:z86

朝廷


(●^◇^●)「へへへへへwww趙盾の野郎めwww今頃はもうあの世行きだなwww」

(●^◇^●)「きっとションベン垂らして泣き叫んだんだろうなwww土下座して命乞いなんかもしちゃったりしてwww」


(●^◇^●)「よし!!もううるさい奴は消えたんだ!!今すぐ宴会だぜ!!」


(・8・)「いいえ。今からは大事な会議です。」


(●゚◇゚●;)!?

(●゚◇゚●;)「…ェ…なんで…」


(・8・)「おはようございます。朝ちょっと自宅で騒動がありまして、参内が遅くなってしまいました。申し訳ございません。」

(・8・)「さあ今日も一日予定が盛りだくさんでございます。宴会はまたの機会になさいませ。」


(●゚◇゚●;;)「」


(・8・)(…今朝…庭の木の傍で死んでいた男…刃物を持っていた…)

(・8・)(…それに公のこの反応…まさか…)


勤勉にして恭謹な趙盾の姿を目の当たりにした?麑は、国家と君主の板挟みになって苦悩した。
そしてその苦しみに耐えかね、なんと槐の木に頭をぶつけて自殺したのである。
同じ刺客でも、流浪時代の晋文公をつけ狙った披とは随分性格に差がある。

52: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:08 ID:z86
九月


(●火◇火●)「?麑め仕損じやがったな!!クソッタレが!!」

(●火◇火●)「こうなったら次の手だ!!絶対に逃がさねえぞ!!」

(●火◇火●)「宴会の準備だ!!」


宴席


(●^◇^●)「いや~やっぱり酒は良いもんだねwww」

(・8・)「…」

(●゚◇゚●)「ところで宰相。俺最近新しいペットができたんだよ。」

(●゚◇゚●)「?っていう犬なんだけどな。とんでもなくでかくて恰好いいんだ。」

(・8・)「はあ…それはそれは…」


(ハ・Д・ム)(なんだ…なんだか変な妙な気配だな…あちこちから殺気がしやがる…) ←提弥明

(ハ・Д・ム)(…もしかして…伏兵か!?)


趙盾の暗殺に失敗した霊公だが、懲りずに次の策を考えた。
即ち、宴席に兵を伏せ、趙盾を招いて殺そうとしたのである。
ところが宴席では、趙盾の車右の提弥明が陰謀を察知した。

54: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:27 ID:z86
(●゚◇゚●)「今日は宰相にも見せたくて、ここに連れてきたんだよ。」

?「ガルルルルルルルル」

(・8・)「はあ…確かに立派ではありますが…いささか兇暴そうですな…」

(●^◇^●)「大丈夫大丈夫。俺にはよく懐いてるからな。言う事は何でも聞くよ。」

(●^◇^●)「ただ…獲物を見つけたら最後、なんにでも?み付いてずたずたにしちまうんだ。」

(●゚◇゚●)「…たとえそれが人間でもね…俺が襲えと命令さえすれば…」


(・8・)「!?」


(ハ・Д・ム)(はっ!?まずいぞ!!盾様が襲われる!!)


ダッダッダッダッ


(ハ・Д・ム)「盾様!!いけませんぞ!!」

(ハ・Д・ム)「臣下が君主に酒を3杯以上も戴くのは無礼にあたります!!」

(ハ・Д・ム)「さあもう帰りましょう!!」カカエアゲー


(・8・)「…お…おう…」


陰謀を察知した提弥明は、宴会の行われている堂上に馳せ登り、趙盾を抱え上げて堂下に降ろした。

55: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:45 ID:z86
(●゚◇゚●)「チッ!!逃がすかよ!!?よ!!行け!!」

?「グルガアアアアアアアアアア!!!」ダッ


(・8・;)「ヒッ!?」

(ハ・Д・ム)「公!!危ない!!」


グワシャッ


?「」チーン


(●゚◇゚●;)「ファッ!?素手で!?」


(ハ・Д・ム)「逃げましょう!!急いで!!」

(・8・;)「…あ…ああ…」


(●炎◇炎●;)「ちくしょおおおおおおおおおおお!!者共であえええええええ!!であええええええ!!」

(●炎◇炎●;)「奴らを逃がすなああああああ!!八つ裂きにしてしまえええええええ!!」


伏兵「よろしくニキ―www」

伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」


(・8・;)「」

(ハ・Д・ム;)「」


趙盾が逃げ出そうとするのを見た霊公は、猛犬の?をけしかけた。
ところが、なんと提弥明はこれを素手で撲殺してしまう。恐るべき剛力である。
するとこれに怒り狂った霊公は伏兵を起たせた。

56: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:24 ID:z86
(ハ・Д・ム)「喰らえや!!」ホコフリマワシー

伏兵A「べッ!?」バタッ


伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」


(ハ・Д・ム)「くそっ!!きりがねえ!!」ブウンブウン


伏兵B「よろしくニキ―www」モノカゲカラー

(ハ・Д・ム;)「しまった!!そんなところから!!」

(・8・;)(まずい!!殺られる!!)


???「死ね!!」


ドシュッ


伏兵B「ゲッ!?」バタッ


(・8・;)「!?」

(ハ・Д・ム;)「!?」


提弥明と趙盾は必死に戦ったが、伏兵は次々と湧いてくる。
2人とも、ほとんど生き延びるのを諦めたことだろう。
ところがその時、突然伏兵の一人が矛を転じ、趙盾たちの味方になって戦い始めた。

57: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:39 ID:z86
???「死ね!!死ね!!」ホコブンマワシー


(・8・;)(なんだこの男…急に味方になったぞ…)


(ハ・Д・ム;)「盾様!!今の内です!!お逃げ下さい!!」ブオンブオン

(ハ・Д・ム;)「ここは私が食い止めますから!!」ブオンブオン


(・8・;)「!?」

(-8-;)「…わかった…すまん…」ダッ

???「…」ダッ


(ハ・∀・ム;)ニヤッ

(ハ・Д・ム;)「よしゃああああ!!伏兵ども!!ここからは一歩も進ませねえぞ!!」

(ハ炎Д炎ム)「束ンなってかかってきやがれえええ!!全員地獄へ道連れだあああああああ!!!」


伏兵・伏兵・伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」

58: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:56 ID:z86
晋都郊外


???「ここまでくればもう大丈夫です。」

(・8・;)「ハアハア…ありがたい…」


(・8・;)「ときに…あなたは何者だ…どうして私を助けたんだ…」

霊輒「…私が宰相にお会いするのはこれで2回目です。」

霊輒「翳桑の乞食、と言えば思い出していただけますか?」

(・8・;)「はっ!あの時の!!」

(・8・;)「名前は何と申される!?お住まいは何処か!?」


霊輒「…名乗るほどの者ではありません…」

霊輒「…もう行きます…早くせねば追手がきますぞ…」タチサリー


(・8・;)(なんだったんだ…)

(;8;)(提弥明…)


結局、提弥明は戦死したが、趙盾と謎の兵士は逃げのびた。
そして趙盾が兵士に助けた理由を尋ねると、兵士は「翳桑之餓人也。」(『春秋左氏伝』)と答えた。
しかし、それ以上は名前も住所も答えず、速やかに立ち去ったのである。
趙盾もそのまま、亡命のためすぐに移動し始めた。

実はこれより先、趙盾が狩りの途中に翳桑という地で一泊した際、霊輒という餓えた男に出会った。
趙盾が哀れに思って霊輒に食事を与えたのだが、何故か霊輒は半分しか手をつけない。
その理由は、故郷の母への土産にしたい、というものであった。
これに感動した趙盾は、食事を全て霊輒に食べさせ、母親のために弁当をもう一つ与えたのだった。

59: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:32:42 ID:z86
乙丑
桃園


(●゚◇゚●)「くそっ!!逃がしたか!!」

(●^◇^●)「まあいい!!これで俺もやりたい放題だ!!」


趙穿「公。」キラッ


ドシュッ


(●゚◇゚●)「グべッ!!」バタッ

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 晋霊公薨去

国境周辺


(・8・)「なに!?穿が公を!?」


趙盾を排除して大喜びの霊公だったが、乙丑の日、桃園で遊んでいるところを趙穿に暗殺されてしまった。
この時趙盾はまだ国境を越えておらず、報せを受けて直ちに絳へ引き返した。

霊公の在位中、一貫して権力を握っていたのは趙盾であり、その政治は必ずしも公平ではなかった。
例えば、河曲の合戦での失態で、胥甲は処罰されたのに趙穿は処罰されなかったのだ。
霊公が趙盾の独裁に対して反抗しようとしたのは事実であり、それは道義的に正しい行動だったかもしれない。
しかしながら、正義を断行するには霊公はあまりにも幼く、愚かで無能過ぎた。
たとえ趙盾の暗殺に成功し、趙穿を排除していたとしても、結局は別の臣下と争い、ロクな死に方はできなかったことだろう。

60: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:32:58 ID:z86
晋都絳
朝庭


(-8-)(結局こんなことになってしまうとは…あんなに無理して即位してもらったのに…)

(-8-)(私なりに頑張ったつもりだったんだがな…何が悪かったのだろうか…)


(・8・)「ん?あの立札はなんだ?」

――――――――――――――――――――――――――――――――――
正史記録告示

九月乙丑、趙盾がその君主夷皐を殺害した。

文責:大史董狐
――――――――――――――――――――――――――――――――――

(・8・)「は!?どういうことだ!!私は殺されそうになった側だぞ!!」

(・8・)「董狐どの!!これは事実とは違いますぞ!!訂正して戴きたい!!」


董狐「…」


趙盾は絳に戻ったが、趙穿を処罰することはなかった。
すると、晋の史官の董狐は、なぜか「趙盾弑其君」 (『春秋左氏伝』)と記録し、朝廷に告示したのである。
驚いた趙盾は、すぐさま訂正するよう董狐に詰め寄った。

61: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:33:16 ID:z86
董狐「何を仰る。弑逆は全くの事実ではありませんか。」

董狐「貴方は晋の正卿です。逃げられた時も国境を越えていないのですから、その任務は今も変わりません。」

董狐「ところが貴方は主殺しの犯人を処罰しない。これで、責任が貴方以外の誰にあると仰るのですか?」


(・8・)「…」


(-8-)「…確かにその通りです…」

(-8-)「…思うところが多すぎて…結局禍根が残される…」

(;8;)「私はそんな気持ちですよ…」


董狐「…」


董狐は趙盾の威厳に屈することなく、整然と反論した。
これには趙盾も黙するしかなく、ただ、詩の一節を呟いただけであった。

我之懷矣
自詒伊?  (『詩経』)

霊公のことで悩み続け、しかも汚名を残すことになった趙盾の無念がひしひしと伝わってくる逸話である。

62: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:33:37 ID:z86
趙穿「…ということがございました。」

趙穿「そこで、群臣一同、ぜひ黒臀さまを晋公としてお迎え致したく、参上仕った次第です。」


彡(゚)(゚)「ファッ!?ワイが」

彡(^)(^)「わかりましたわ!!是非行かしてもらいまっせ!!」


彡(^)(^)(なんや!!なんでかしらんけどワイが晋公やて!!)

彡(^)(^)(やっぱりマッマの夢は正夢やったんやな!!)


霊公の後継として、趙盾は黒臀を選んだ。
本来なら雍を迎えたかったところだろうが、霊公即位時の騒動で、それは永遠に不可能になってしまっていたのである。

63: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:33:46 ID:z86
続きはまた今度

83: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:27:04 ID:wNV
かなり久しぶりに続き書くやで
晋成公編完結やで

84: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:28:56 ID:wNV
十月壬申
曲沃


彡(゚)(゚)「今日から晋公ンなった黒臀や!!」

彡(゚)(゚)「今の晋は国の内にも外にも問題だらけや!!みんな協力して頑張るんやで!!」


大臣一同「はっ!!」


彡(゚)(゚)「まずは制度改革や。大臣の子供らの序列をはっきりさすやで。」

彡(゚)(゚)「一族の跡取りが公族、それ以外の子は余子、妾腹は公行や。」


(・8・)「…公。我が趙氏は弟の括を公族にしたいと思います。」

(・8・)「括のお母様には大変お世話になりましたから。あの方がおられなければ私は今でも狄で暮らしていたことでしょう。」

彡(゚)(゚)「ん?ほんならお前んとこの子供はどないすんねん?」

(・8・)「うちの子は余子で構いません。というか私自身を余子に格下げして下さい。」

(-8-)「宰相は辞めさせて戴きます…もう疲れました…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?」


十月壬申の日、黒臀は即位し、曲沃の武公廟で群臣の朝見を受けた。
黒臀の諡は成公。以下は成公で統一する。

さて、即位した成公はまず、大臣諸氏の子供達の格付けを明確にするため、公族・余子・公行の三官を設けた。
するとこれに対して趙盾は、自分を格下げして弟の趙括を公族にするよう求めた。
なんと趙盾自らは余子の官に降り、宰相を辞任したのである。
15年に及ぶ趙盾政権はあっさり終了した。宰相の位は郤缺が継ぐことになった。

趙盾の在任中を通じて、晋は軍事的に非常に不活発であり、楚・秦・斉に後れをとることが多かった。
また、就任以来の制度改革で大臣の権勢が強くなり、大臣同士の権力闘争が激化してしまった面も否定できない。
しかし結局のところ、彼の辞任時には、中原諸侯は鄭を除いて全て晋の盟下にあったのだ。
暗君と人材不足の時代にあって、晋が覇権を維持し続けられたのは、紛れもなく趙盾の能力によるものである。
地味ではあるが、名宰相と呼んでよいであろう。

85: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:29:12 ID:wNV
趙盾について詳しく。


※スルー可


重耳(晋文公)が居城の蒲を脱出して狄に亡命したのが前655年である。
狄は重耳を歓迎し、更に?咎如という狄の部族を攻めて、捕虜となった叔隗・季隗という2人の女を重耳に献上した。
すると、重耳は季隗を自分の妻とし、叔隗を趙衰に与えた。
やがて叔隗は盾、季隗は?・劉という子を産んだ。

しかし前644年、晋恵公が重耳に刺客を放ったため、重耳は狄を脱出する。
この時、叔隗・季隗とその子供たちは、みな狄に置き去りにされた。
あてのない逃避行に、女子供を連れて行く余裕などとてもなかったのであろう。
出発に際して、重耳の季隗に曰く「25年待ってくれ。それでも私が戻らなければ再婚しなさい。」
これに対して季隗は「私は今25歳です。25年経てば、再婚しようにもとっくに棺桶の中でしょう。あなたをお待ちしております。」と答えた。
趙衰と叔隗もおそらく同じような心持だったことだろう。

ところが、重耳は諸国を放浪し、幾多の苦難を乗り越えて、前636年にとうとう晋公となった。
狄では季隗を晋に送ることになったが、跡目争いの種になることを恐れたのか、?と劉は狄に残された。
一方、趙衰は叔隗や盾を呼び寄せようとはしなかった。
この時、趙衰は既に重耳の娘の趙姫を正夫人として迎えており、同・括・嬰斉という三人の男児までいたのだ。
もはや趙家に叔隗や盾の居場所はなかったのである。

しかし、意外にも趙姫がこれに異議を唱えた。彼女は叔隗と盾を呼び寄せるよう、嫌がる趙衰に迫ったのである。
曰く「文公に今気に入られているからといって、昔のことを忘れてしまうようでは、人の上に立つことはできません。」
仕方なく趙衰は叔隗と盾を迎えることになった。
すると、趙姫は盾の才器を見抜き、なんと文公に頼んで盾を嫡子、叔隗を正夫人としたのであった。
趙盾はこのことを恩義に感じ、後に後継ぎに括を指名したのである。

86: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:30:57 ID:wNV
前606年
晋都絳


彡(゚)(゚)「趙盾はあっさり引退してしまいおった。」

彡(゚)(゚)「まあ、先代の馬鹿っぷりに10年もつき合わされたんや。ホンマお疲れさまやで。」

彡(゚)(゚)「郤缺!!いよいよ新しい時代が始まるんや!!よろしく頼むで!!」

('ω`)「はっ!!懸命に努めます!!」 ←郤缺


('ω`)「最近の晋は、外交はどちらかというと穏健志向で、あまり軍事行動は多くありませんでした。」

('ω`)「出撃した場合も、ノロノロ進軍したり、賄賂を受け取って引き返したりして、武力を見せつけるようなことはほとんどできませんでした。」

('ω`)「しかしこれからは、叛く者に対しては、必要に応じて武力を示していくべきかと思います。」


彡(゚)(゚)「なるほどな…」

彡(゚)(゚)「ほんならまずは鄭を叩きにいこか。出撃の準備をせい。」


この年、成公は早速兵を繰り出し、中原で唯一楚に従っていた鄭を撃った。
晋軍の猛威に震え上がった鄭は、直ちに降伏し、和議を結んだ。

この後、前604年に陳が楚と講和すると、すかさず晋は荀林父を将として出兵し、陳に侵攻、屈服させた。
趙盾ならしばらく様子を見ようとしたことだろうが、成公は素早く軍事行動を起こし、服従させる方針をとったのだ。
成公と郤缺の指導のもと、晋の外交姿勢は次第に強硬路線へと転換していくのである。

89: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:33:17 ID:wNV
郤缺について。


※スルー可


郤缺は、かつて晋恵公と晋懐公を補佐していた郤?の子である。
晋文公が即位した前636年、郤?は叛乱を起こし文公を殺害しようとしたが、失敗して処刑された。
記録がないので確かなことは言えないが、この時郤缺は逃亡し、隠居したのであろう。

ところが、郤缺の才能は見過ごされなかった。
ある日郤缺が草刈りをしていると、そこを偶然胥臣が通りかかったのである。
この時、郤缺の妻が郤缺のところへ食事を運んできたが、その様子はまるで、夫婦が互いを賓客として敬い、もてなしているかのようであった。
この光景に驚き、郤缺の大才を見抜いた胥臣は、なんとそのまま彼を連れて絳に戻り、文公に推薦したのである。
曰く「敬意は徳の結晶です。敬意を持って行動できる者は徳が高く、上手く民を治めることができます。どうか郤缺を登用して下さい。」

当然文公は嫌がった。自分の命を狙った者の子を信用できるはずがない。
しかし胥臣は諦めなかった。
「帝舜は鯀を処刑しましたが、その子の禹は登用しました。また、斉桓公は敵だった管仲を許し、登用して覇業を成し遂げたではありませんか。
カブやダイコンは根が悪くとも、葉は摘んで食べることができます。その長所だけを取り上げればよいのです。」
結局文公は折れ、郤缺は胥臣が佐を務める下軍で大夫として働くことになった。

それから時は流れ、文公歿後の前627年、狄が晋に侵入し、晋軍と箕で交戦した。元帥の先軫が戦死した合戦である。
この時、郤缺は兇暴な狄兵を相手に奮戦し、狄の君主である白狄子を捕獲する大戦果を挙げた。
晋襄公はこれを賞し、郤缺を卿に任命して、父の旧領の冀を与えた。
そして胥臣にも、郤缺を推薦した功績で褒賞を与えたのである。

やがて襄公が薨去し、趙盾が政治を主導するようになると、郤缺は彼に絶大に信用されるようになった。
上軍の将として趙盾に次ぐ地位に上り、相談に乗りつつ、時には厳しい言葉も吐いた。
前618年には、衛の問題に関連して、趙盾に向かって以下のように言い放っている。
「上に徳がなければ下は楽しからず、それが離反の原因となる。あなたの徳など、歌頌できるものなど何もなく、誰も従いません。」
しかし、趙盾はこれに怒るどころか、むしろ深く納得したのである。郤缺の能力をさぞ高く評価していたのであろう。
また、秦に亡命していた士会の帰国を趙盾に提案し、実現させたのも郤缺である。

そして前607年、趙盾が引退し、とうとう郤缺は晋の宰相となった。
叛逆者の子が宰相になったわけであり、晋の人材活用機能の高さが窺い知れる。

90: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:33:55 ID:wNV
前603年


彡(゚)(゚)「なんやと!?狄が攻めてきおった!?」

('ω`)「はい。敵はとんでもない大軍で、懐と?丘が包囲され、周囲の領土は荒れ放題になっているそうです。」

彡(゚)(゚)「ほんならすぐ出陣や!!野蛮人どもに好き放題さすな!!」


( ・`公・´)「お待ちください。今は撃って出る時ではありません。敵は大軍ですぞ。」 ←荀林父

( ・`公・´)「しばらく待って、敵の勢いが衰えるのを待ちましょう。出兵は敵にとっても大きな負担ですから。」

( ・`公・´)「狄が自分の民を苦しめるに任せておき、極限にまで至れば、その時こそ一撃で斃すことができるでしょう。」


彡(゚)(゚)「なるほどな…確かにそれもそうや…」


この年、赤狄が大挙して晋を侵し、懐と?丘を包囲した。
これに対し、成公は出撃して迎え撃とうとしたが、荀林父の諫言で断念した。
楚の脅威が高まっている時に、狄との戦いで兵力を損ないたくないという判断であろうか。

しかし、この後も狄は晋の領土を侵し続け、晋を悩ませ続けるのである。

91: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:34:18 ID:wNV
前600年


彡(゚)(゚)「なんやと!!また陳が寝返りおったんか!!」

('ω`)「陳と鄭は楚に近いですからね…昔から彼等は寝返ってばかりです。」

彡(゚)(゚)「すぐ出陣や!!今度は諸侯連合の大軍でどやしつけたるわ!!」


九月辛酉



彡(゚)(゚)「しっかし…中原の連中は何遍叩いてもすぐ裏切りおるな…」

彡(-)(-)「今回大軍で脅かしたっても、楚が兵隊同じ数出してきおったら結局無意味やしな…」

彡(-)(-)「なんとかうまいことできへんもんやろか…」


ドクン


彡(●)(●)「うぐっ!?」


バタッ


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┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
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  成公薨去

92: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:35:40 ID:wNV
この年、成公は扈で諸侯会合を実施し、宋・衛・鄭・曹の君主が参加して、晋に従わぬ諸侯への対策を話し合った。
そして、会合に陳公が出席しなかったのを理由に、荀林父を将として諸侯の軍が出動、陳を攻撃した。
この前年、陳は再び楚に攻められて、楚と講和していたのである。

ところがその最中、なんと成公が突然薨去してしまった。死因は不明である。
成公はこの時、おそらくまだ30歳前後であった。壮年での死を誰も予想しなかったことだろう。
訃報に接した荀林父はやむなく兵を退いた。
後を継いだのは成公の子の拠(景公)である。またしても未熟な弱年君主が即位したのだ。

成公の在位期間はたったの7年間であり、その賢愚のほどは定かではない。
狄を撃とうとした時に荀林父の建言を受け入れたのは賢明な判断であったかもしれないが、それだけでは何もわからない。
もちろん郤缺・荀林父・士会などの賢臣を活用し、覇権を維持した功績は認められるべきであろう。
しかし、真価を試されるような一大事は成公の在位中には一度もなく、結局その器量は量りようがない。
襄公歿後に後継として取沙汰されなかったくらいだから、実際のところ大した器量ではなかったのかもしれない。

ただ、趙盾の穏健外交を改めて、武力による秩序維持を目指したのは画期的なことであった。
晋が楚に真っ向から対抗し、武力一本で中原諸侯を奪い合う時代になったのである。
成公の在位中はその方針は上手く行っていたと言えるであろう。中原諸侯はほぼ晋の盟下に収まっていたのだ。

しかし、これによって晋楚の緊張は急速に高まって行く。
そして成公歿後の前597年、鄭の帰属を巡り、ついに晋と楚の全軍が?の地で向かい合い、正面衝突する。
この一大決戦で、楚荘王率いる楚軍によって、晋軍は粉々に打ち砕かれてしまうのである。


晋成公編おわり

93: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:39:23 ID:wNV
次は楚荘王か斉の誰かの予定